祖父の思い出1

『私たちの40年!!』あるぜんちな丸同船者寄稿集より

あるぜんちな丸第十二次航機関長の山根裕さんと事務長の中村武雄さんの横顔
1962年4月19日も木曜日の第13号船内ニュース さくら にあるぜんちな丸機関長の山根裕さんの横顔が紹介されております。
横顔 山根裕機関長
今日御登場願ったのは皆様と余り接触はないけれどもこの船の心臓とも云える機関部を統帥する機関長山根裕氏。兵庫県但馬の産。中学時代(現在の豊岡高校) は、短距離で県大会等に出場俊足ぶりをうたわれたというスポーツマンである。現在お年は50才。少しヒタイは禿げているが髪は黒々ととてもそのお年には見えない。学校は、仁平船長と同じ神戸高等商船大学で仁平船長の一期後輩だと云う。船乗になられて今迄で一番の思い出は、戦争勃発直前、日米間の空気が険悪になりパナマが封鎖された為、ホーン岬を迂回してどの港にも寄港せず帰って来た事が苦しくも又楽しい思い出の一つであるという。生活信条はとお聞きすると「私は物事を中途半端にやるのが一番イヤなのです」とおっしゃる。技術屋さんには物事に妥協しないタイプの人が多いがこの人の当りやわらかな物腰の中にも芯のあるところがうかがわれる。趣味はゴルフ。酒は晩酌1本位。タバコは、全然ダメ。愛妻紀美子夫人との間に京都大学二年、長田高校三年の御子息がある。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/index.php

日頃接することがない遠縁の親戚や知人にお会いし、お話しを聞くことが出来ました。
特にあるぜんちな丸の頃の記事の話は50年前のおじいさんの様子を知るうえで非常な貴重な情報です。